2011年9月12日月曜日

日本史が得意分野の方

歴史そのものが苦手なものですから


まず日本史を面白く読める本!どなたがご存知なら是非ともおしえて下さい。

しかも戦国時代。

何せ


大河ドラマ「江」がおもしろくて、そのような心理になっております。

で、

本日の回見ました?

関ヶ原の戦いがここで起こるのかと

初めて知りました。

こんなにも有名な合戦、

今知ったという。。。

その中で少し登場していた

真田幸村という男が気になり

調べてみた。



もう、すぐにファンになってしまった。


以下の文は多々ある真田幸村系サイトから引用させていただきました。

真田幸村は家康に死を覚悟させた武将で有名。

1582年「天目山の戦」の帰り、わずか300人で敗走する真田軍は北条軍4万と遭遇するが
当時15歳の幸村の策によって敵陣を突破。

幸村の戦略ぶりはまさに父親譲りなのでしょう
父・昌幸は1585年の上田合戦において、徳川軍7千に対し真田軍7百
10倍の敵を見事撃退し勝利した。

とか、

「江」でもありました、徳川秀忠が関ヶ原の戦いに遅れたことも昌幸の企て。
元々東軍12万、対西軍9万だが、4万の秀忠軍が出遅れば東軍8万対西軍9万!
それを狙った秀忠の足止め、、、西軍は負けてしまったけど昌幸の策略具合は一目おかれていたようです。

西軍だった幸村は関ヶ原の戦い後、高野山の麓にある九度山へ配流させられるが
徳川家を滅ぼすべく大阪城へ入城、まず1614年大阪冬の陣では攻城戦に備え大阪城に砦・真田丸を築いた。徳川は城内にスパイを忍ばせて内部の切り崩しを謀るが幸村の策略勝ち、
真田丸は日本中の大名20万を相手に大阪城を守り通した。

1615年大阪夏の陣では家康本陣を前にはだかる越前松平軍1万3千を相手に
3千の真田隊は影武者数名と共に進撃
遂に家康の『馬印』(うまじるし、本陣の旗)が引き倒された。家康にとって馬印が倒されたのは、生涯で「三方ヶ原の戦」の武田戦と、この真田の特攻の2度のみ。

ここで家康は真田に首を取らすまいと切腹をしようとしたが、側近に止められたという。
しかし次第に追い詰められた真田隊は撤退、負傷した幸村を越前松平隊の西尾仁左衛門に槍で刺され討ち取られた。豊臣家も滅亡。



幸村の戦いぶりを島津家久は、
「真田は日本一の兵(つわもの)…」といい

戦後、武勇にあやかろうと幸村の首から髪の毛を
抜いて持ち帰る兵が大勢いたとのこと。

そんな幸村、焼酎大好きで

性格は柔和で優しく、物静かで、言葉少なく、怒り腹立つことがなかったという。

であって、戦いとなると凄まじい武勇。

当時から注目されていたのでしょうね。

しかも幸村、

NHKの歴史上人物人気ランキング第2位だそう!(ちなみに1位は徳川家康)
戦国部門ではなく歴史上でです。あれだけいる中で第2位は凄い。

そんなスゴイ人、今まで知らなかった。

ひとつ勉強。

ひとりカッコイイ人見つけた。

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